同日生まれのお友達
先月末、待ちに待った機会がついに訪れました!
その前に、タイトルについて。
おもちには、生まれながらにお友達がいます。
遡ること去年5月、おもちが生まれる前日のこと。私は朝からおしるしと同時に前期破水したらしく、その日から入院、そのまま出産となりました。
その頃私と一瞬間程違いで出産予定日を控えていた関東に住む友人がおり、「このまま生まれるかもーお先ー」的なLINEのやりとりをして、私は日付が変わって間もなくおもちを出産。
朝になって、無事に産まれたことをLINEで報告しました。
が、いつまで経っても返信はなく、既読も付かない。いつもこういった報告には我が事のように喜んで祝ってくれる子なので、なんとなーく、あれ?これはもしや・・・?となんとなく予想。
そして産後ハイが少し落ち着き、会陰切開の痛みや出産の疲れをどわーっと感じ始めた頃、LINEが返ってきました。
予想は的中、友人も無事出産を終えたということで、おもちと友人の娘ちゃんは同じ日に生まれるという何とも不思議な巡り合わせとなったのです。
妊娠中に一度関東まで会いに行ったことがあったので、もしかするとその時にでもお互い腹の中で示し合わせてたのかと考えてしまうほど(笑)腹突き合せてお喋りしてたもんなー。
ということでやっと戻りますが、その娘ちゃんとおもちが、念願の対面を果たすことができました!!
わざわざ私達の暮らす浜松にまで、一家で会いに来てくれました!車で3時間、決して近くはないのに本当にありがとう!!
お互いの娘の昼寝の時間を考慮して、お昼ご飯からの合流にしました。
せっかくここまで来てもらったんだから、と静岡で名高い炭火焼ハンバーグのお店、さわやかで待ち合わせ。
そしてご対面!
お目目ぱっちりー!!二重ー!!めっちゃ笑ってくれるー可愛いー!!!
同じ日に生まれた女の子同士なのに色々違ってて、ひとしきりお互いの娘たちを愛で合いました。それから混雑により少し待ってから入店。
赤ちゃん用椅子に並んで座った娘たちの可愛さよ・・・!二人で見つめ合ってから首を振り合うという謎の交信で親たちを笑わせ、親たちは娘たちへの離乳食を父母交代で行う素晴らしい連携プレー。
父親二人が揃って離乳食を食べさせているシーンはまさに現代の理想的な育児の姿で、私は密かに感動していて、我が夫ながら鼻が高かった。いつもありがとうね。
それから駅近くにある子供が遊びまわれる施設へ移動して、赤ちゃんがゴロゴロできるスペースでのんびり娘たちを放牧。
おもちが嫉妬するほどに友人の娘ちゃんにデレッデレだった我が家でした(笑)
楽しい時間はあっという間で、帰りの時間があるため15時頃には解散となり、友人たちを見送りました。
私にとっては専門学校で最初にできた友達で、優しく思いやりのある、茶目っ気もあるしたまに抜けているところもあるけど(笑)尊敬もしている、大好きな友人。娘たちが同じ日に生まれたのは単純な偶然だけではないような気がしています。
地理的にはちょっと遠いけど、今後も沢山機会作って、お互いの娘の成長を楽しみにしていきたいなぁと思います!
次はこっちから会いに行くねー!!
嗚呼素晴らしき味方、回転寿司チェーン
昨日はいちさんが休みだったのですが、午後からはおもちの保育園の説明会やいちさんの仕事の用事でバタバタとする予定でした。
そんな訳で、午前中はゆったり過ごし、11時過ぎに家を出発。大トロとうにが100円!というCMにまんまと釣られ、スシローでお昼ごはんに決定。
ていうかね!!
子供が生まれるまで気付かなかった、回転寿司チェーンのありがたみよ…!!
まずファミリーが多いから騒がしい。赤子が一人ちょっとぐずろうが、あんまりハラハラしない。
そしてそのファミリー達はほぼ育児真っ最中or経験者、お互い様精神や「わかるよ大変だよね、大丈夫だよ!」だったり「泣いてても可愛いわー」な温かい視線を頂けることもあるので、私のように超絶気にしぃな人間にもハードルが低いのです。
そして子連れ客ウェルカムな雰囲気!
・子供用椅子は大抵ある
・子供用おもちゃのサービス
・店内トイレのオムツ替え台
(今日行ったスシローには、男性トイレにはオムツ替え台無かったらしい、スペース的に難しかったのかもだけども…パパ一人で赤子連れて来たらオムツ替えられないよ…!)
・店によってはメニューに離乳食があったり(確かかっぱ寿司はキューピーのベビーフードがあった)、スシローは子連れ用ポイントカードがあってたまるとキャラクターグッズがもらえる
泣いたりぐずったりを考えると何かと悩ましい赤子連れの外食事情ですが、寿司チェーン、おすすめですよー!
たまには家事休みと美味しいもの食べに、お父さんお母さんも息抜きに使ってみてくださいね!
車で寝ちゃった問題
スーパーに着いて、スヤスヤ寝てるから起きるまで少し寝さしとくかーって様子見て、早20分。
スヤもち。
スヤスヤおもち。
モチモチほっぺをもたれ掛かったチャイルドシートのベルトに食い込ませながら、スーヤスヤ可愛い顔で寝ている。
今日は午前中から友人親子と遊んでもらって、力の限り遊び倒してたからか、モゾモゾしてあ…起きる…?ってなってもまたスーヤスヤ。
Eテレゴールデンタイムが始まってしまっているじゃないか…!
お松の散歩も行ってやりたいし、ご飯作ってないしお米すら炊いてないし、この方の離乳食の時間も迫るし、何よりスーパー行きたい。
でも、スヤスヤ、スヤもち。。
起こすのも忍びないしなぁ、無理矢理起こして家で不機嫌になられても困るなぁ。
むむむ。
と思ったら起きた!
行ってきまーす!!
人への一歩と小さな挑戦
今日は、離乳食教室の時に知り合った同じ月齢の友達と一緒に支援センターに行ってきました!
そういや最近まで知らなかったんですが、支援センターは午前は走り回れるくらいの大きい子の割合が大きくて、午後は未満児くらいのコロコロ転がったりハイハイの子が多いみたいです。うちの地域だけかもしれないけど…ていうかそもそも午後は人少なくて、小さい子を連れて行くには狙い目。
っと脱線。
おもちも、そのお友達(おもちと約一週間違いの男の子)も、もうお座りは上手にできて、それぞれハイハイやズリバイで移動もお手の物。
初めて会ったときはお互い生後5、6か月くらいで、どっちも寝返りくらいしかできなくて、顔を見つめ合うことはあっても別段積極的に関わり合ったりしない感じでした。
それが、今日は二人でキャッキャ言ったり、おもちゃを取ったり取られたりと人間らしいやり取りを交わしていて、「わーすごいですねー成長!!」とその子のお母さんと感激しました。
内心、
「人間がいんじゃん…!!!」
と千と千尋の神隠しのセリフが心を占めるほどにびっくりした。言葉こそないけれど、同じレベルで自分の意思表示の出来る相手を前にやり取りをする。当たり前だけども、おもちってやっぱり人間だったのか…
こんな些細なことでも驚いているので、喋り出したらもうどうなることやら(笑)し、喋ったああぁ!?ってなりそう(笑)
そしてこの支援センター、室内にちょっと大きめの段ボールハウス(出入り口が一直線上に二ヶ所あって通り抜けられるようになっている)があり、普段は歩ける大きめの子達が競ってくぐったり中で遊んだりしているんですが、今日は珍しく誰も使う子がいませんでした。
そこで、おもちがハイハイで追いかけてくるのを利用し、この段ボールハウスへ誘導。反対側から呼び掛けて、中を通り抜けさせようと試みました。
エヘ、エヘ!と言いながら、ペタペタ追い掛けてくるおもち。が、手前で止まって、不安そうにこちらを覗き込んできました。
屋根があるので薄暗くなっているハウス内が怖いのか、泣き出しそうな表情で怖々と中を観察しています。あーこれは駄目かな、まだ早いかな、暗いの嫌がるもんな…と思いました。
少しして、私が諦めて迎えに行こうとした瞬間。
でち、でち、とハウス内へ果敢に進むおもち。
閉ざされた屋根部分をしげしげと見ていた不安げな表情と目が合った途端、泣く寸前の顔で私の元へスピードアップ!
そしてしっかりくぐり抜け、膝にすがり付いてきました。
すごい!!と抱き締めたら、ニヤニヤしながら顔をごしごし擦り付けてきました。
こうして、親がまだ無理だと思っていることでもすぐに習得していくんだろうなぁ、と実感しました。成長ってすごい。
4月からの保育園でも、沢山のお友達や色々な経験から、どんどん多くのものを吸収して大きくなってくれれば嬉しいな。
楽しみです。
そろそろ本格的に入園準備しなければ!
夜間断乳と切なさと
書く書く詐欺をしておりました夜間断乳について!ご報告いたします!
去る3/2~3/3にかけて、いちさんが珍しく連休だったため、なんとなーく
「やろうかなー、でも別に夜の授乳そんなに苦じゃないけどなー、やめたら離乳食の食べ良くなるって聞くしなー、でもすっげー泣くって聞くしなー…」
とか考えて踏み切れずにいた夜間断乳を、とりあえずやってみっか!ということで決行致しました!!
いちさんには前日に
「そういうことだから、夜中、地獄を見るかもしれん。一緒に乗り切ってくれまいか。」
と申告したところ快諾、交替交替ででも頑張ろうと熱く固い握手を交わし、いざ迎えた3/1の夜。
(2日から休みのため、3/1夜からの断乳でした。)
いつも通り風呂からの諸々を終え、暗くした寝室で授乳。
これが今夜最後の授乳か…どうなるかな…でも今日は意地でもあげんぞ。泣こうがわめこうがあげないったらあげない…!!覚悟しろおもち、そして私&いちさん…!!
と静かな闘志を燃やしながら、乳に食らいつきながら眠りに落ちていくおもちを眺め、おもちはそのまま就寝。
我々も、夜の戦いに備え、その日は早めに就寝。
いつもは深夜2時頃と、明け方5時頃の1、2回ほど泣いて起きて授乳しているので、戦いはその辺りになるかな…とドキドキ。
そして深夜。
キャアァーッ!と甲高い泣き声にいつも通り瞬時に覚醒させられ、「来やがった…!!」とドキドキ。
多分無理だろうなー。普段からほんと諦めない子やし寝ないだろうな…。と半分諦めつつも、横になったままおもちの方に体を向け、胸の辺りを優しくトントン。
キャー、キャアァーッ!
と泣いて身をよじるおもちにも、めげずにトントン、トントン…
そしたら、3分もしないうちに静かになり、動きも止まりました。
え…
ね、寝た…!?
びっくりして、トントンを止めて息を潜めて様子を伺うと、静かに寝息をたてるおもち。
寝てる。寝ている。
マジか。
事前に調べた情報によると、大体最初の3日は地獄、それを乗り越えれば大抵落ち着いていく、という話でした。
それが、こんなにアッサリ…?
驚きつつ、いやいや、まだ夜は長い。またすぐ起きるかもしれん。次に備えて私もさっさと寝よう。と気を取り直し、目を閉じました。
気付いたら朝だった。
いつも通りおもちの発声練習(毎朝私たちに起きて欲しいのかいち早く起きて喋りまくってる。おもちのお陰でアラーム要らず。笑)で目が覚めて、びっくりして時計を見たら朝6時半。
マジか。
驚きと困惑はあったものの、これはすごい!!と感激、何より邪魔されずに睡眠に没頭出来る、こくこくと船を漕ぎながら授乳するしんどさが無かった嬉しさが押し寄せました。
でも、まぐれかもしれん。
大体、こういうブログだったりSNSなんかで「やったー!」とか書いちゃうと駄目になったりするので、とりあえずまぐれということで翌日も心してかかりました。
それから2週間。
数日は夜中一回起きてトントン、からの再入眠でしたが、今は朝までぐっすりです!!すっげーーー!!!!!続けて眠れることがこんなに幸せだとは。
ちなみに寝言泣きと言って、おっぱいが欲しくて泣いている訳ではない場合、少し様子を見るとまた自分で寝る、という場合は他の子でも多いみたいです。
どうやらおもちの最近の夜間覚醒の具合を見ていたら、その寝言泣きっぽい感じでした。飲みたくて泣く訳ではなさそうな。
こんなにアッサリで良かったんだろうか、と世の夜間断乳の苦労話を思うと少し申し訳ない気持ちになるけれど、ありがたく享受することにします。
ちなみにもう3回食も板につき、授乳自体が減っていたことも一因かと。
そして今日。
夜のお世話がほぼ終わって、残すは寝室で寝る前の授乳のみ、となった時にいけそうな気がしたので、軽い気持ちで初めて、寝る前の授乳無しで寝かしつけをしてみました。
授乳の代わりに、添い寝して、うろ覚えの桃太郎を話して聞かせてやりました。
すると、うつらうつらと目を閉じていくおもち。
その姿に、これまでの授乳中のおもちの横顔が脳裏に過りました。
あぁ、こうして本当に卒乳しちゃうんだな、大きくなったんだな。
なんて、嬉しいような、寂しいような。
…泣きたいような。
複雑な気持ちになりつつ、眠りに落ちていくおもちを眺めていました。
そんな今日は、ふと気付けば、おもちが生まれて300日目でした。
大きくなったね。
300日、私も母ちゃん頑張ってきたんだな。
偉いぞ私。笑
ということで、夜間断乳のお陰でついに解禁となった酒を飲んでます!うまーい!
どんどん成長していく姿が寂しいけれど、元気に大きくなってくれていることは何より嬉しいですね。
そしてこれからも楽しみだ!!
一緒に、家族の人生楽しんでいきます!
ブームがパからタ行に
約一ヶ月ほど前の記事では(http://shirotaro5.hatenablog.com/entry/2018/02/02/222714)あわあわ!とかパッパー!と喋ると書きましたが、またアップデートしたおもちさん。
「てぃーてぁ!!」
「とゅーでゅー」
「ちゃあぁぁぁ」
等々、「タ行」を連発するようになりました。あとすごいはっきり本当に「ばぶー」って言う(笑)
それをいちさんに話したら、「もうすぐ話すかねー?」という話になりました。
私「タ行やから、じきに父ちゃんって言えるんじゃない?」
いち「いやー言わないっしょ!笑」
私「ほら、(おもちの声に似せて)とーたん!みたいな」
いち「はあぁーそれヤバい…!!もう一回言って!」
私「え、私よ!?笑」
いち「いーから!もう一回!」
私「と、とーたん!」
いち「はあぁー!!」
幸せな奴やな。笑
ということで多分、おもちが本当に話すようになったらいちさん、天に召されるかもしれません。
今よりデレデレになるのは間違いない。
母として改めて考える防災
今年も3/11になりました。
7年。
あの日、当時持っていた携帯電話のワンセグで見た恐ろしい光景。見たことのない数に膨れ上がっていった死者・行方不明者数。被災地で見聞きした様々な体験や教訓。亡くなられた方々の無念。
いつまでも忘れずに、もし我が身にあんな災害が降りかかったときは、自分や大切な存在を守れるよう力を尽くすことを誓いながら、毎年この日を過ごしています。
今日は、黙祷の時間の前にと少し急いでスーパーに行き、20分ほど前に自宅へ帰りつきましたが、その間におもちがチャイルドシートでお昼寝に入ってしまいました。
あー今年は車の中で黙祷かな…?と苦笑しつつ、グースカいびきをかきながら眠る我が子の顔をしばらく眺めていたんですが、ふと気付きました。
もし、今、あの日のような大震災や大津波が襲ってきたら。
この子をどうやって守りきればいいんだろう。
7年前のあの日、私は成人したばかりの身軽な若者でした。
その日はちょうど通っていた学校の卒業式で、地震は本当に怖かったけれど、パニックになっている同級生たちを見て、いざという時は自分も皆も助かるために動かなければ!と生意気な使命感に燃えていました。
でも、防災についてなんの知識もない。
記憶にあるうちでは震度4以上の地震は経験がなく、津波などサーフィンの波の大きいバージョン?くらいにしかイメージがなく、恐怖心はあれど本質はわかっていなかった。
その為、友人と寄り集まって覗き込んだワンセグで、次々黒い波に飲み込まれる東北沿岸の映像を見て言葉を失いました。
少なくとも運転する人が乗っているに違いない、猛スピードで波から逃げる車が、無情にも波に飲まれ押し潰される光景が今も脳裏に焼き付いています。
その日は卒業式会場のホテルに缶詰になり、多少の不便はありましたが、周りには仲の良い友達が大勢いたし、さらにホテル側の温かいご厚意により、食事もトイレにも困ることなく過ごさせてもらえました。
そして何より、自分以上に守らなければならない存在はなかった。友達も勿論大切だけれど、それぞれ自分のことは自分でできるから。
それが今、一歳にもならない幼い我が子がいて、万が一の時、そばに旦那がいなければ私が守り抜かなければならない。それも災害発生の瞬間だけではなく、そこから落ち着くまでの数日間を。
そう考えたとき、自分の備えの無さに気付いて怖くなりました。
自分やいちさんだけならきっと割とどうにでもなるけれど、おもちのような赤ちゃんのための必要物資はきっとそんなに用意されていない。
実際、東日本の時も、そして九州の時も、赤ちゃん用の物資は十分に無く、多くの子連れ家庭は大変な思いをしたそうです。
これまで自分がその立場にいなかったから聞き流してしまって、そのまま9ヶ月になった今日まで何も考えずに来てしまいました。
今日、Twitterを流し読みしていたところ、東日本大震災の当時一歳だったお子さんを持つイラストレーターの方が、実体験を元に分かりやすく防災法を紹介してくれる本があることを知ったので、こちらを購入しようと思っています。
- 作者: アベナオミ
- 出版社/メーカー: 学研プラス
- 発売日: 2017/02/07
- メディア: 単行本
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読んだ感想等はまた後日、改めて追記させていただきます。
ちなみに、FBで繋がっている方は何度か私が投稿で書いているので耳タコかもしれませんが、有事の際これだけは気を付けて欲しい事を二点だけ。
・海や川からの、自宅や学校or職場の距離をおおよそでも知っておく
これは陸前高田市で、被災者の方に聞いた話。
海からほど近い距離の地域でも、建物が密集しているせいで目視でその距離を判断しづらく、避難を迷っているうちに辻という辻から襲い掛かった津波により犠牲となった方が多くいらしたそうです。
また波がより速く遡上して溢れる川も非常に危険で、避難する際にも川沿いは避けるべきルートです。
普段、海はもとより川などあまり気に留めないかもしれませんが、これを知っておいてその時に行動するだけで生存率は格段に上がります。どうかご自身のみならず、ご家族にも話して意識の共有を図ってください。
・女性ご本人、またお子さん(特に女の子)のいるご家族は、人気のない場所に一人では行かず、夜の行動にも本当に気を付けて。
火事場泥棒という言葉が昔からあるように、未曾有の大災害の中であっても、被害に遭った家に盗みに入ったり、傷付いた弱い立場の人に容赦なく牙を向く極悪人は残念ながらいます。
以前被災地で伺った話によると、避難所という大勢が集まり一見安全そうな場所でも、夜、明かりのない中で若い女性を狙った強姦が何件もあったそうです。
それも寝泊まりしているスペースから強引に連れていかれるケースもあったそうで、悲鳴が聞こえても、相手が凶器を持っている可能性もあり、やっと助かったのに殺されるかもしれない、と周囲も助けに入ることが出来なかったということでした。なぜ、と思ったけれど、これを聞いて確かに自分も命からがら逃げてきて、危険を冒して助けに入ることは容易なことではないと思います。
これを聞いたとき、犯人の信じがたいおぞましい行為に身の毛がよだちました。被害に遭った方の気持ちを思うと言葉になりません。
心の殺人、と言われるように、性被害は体を傷つけられるだけでなく、一生記憶に深く刻み付けられる大きな傷となります。消すことのできない記憶は、生きている限り何度も脳裏に甦り、その度にまた傷付いていくもの。
大きな災害時、物資が不足したり極端に不便な状況が続くと、勿論助け合いにより人の優しさに触れることも多いですが、自分さえ良ければいい人間も一定数存在します。
どうかどうか、自分や家族、愛する人をそういった恐ろしい事件から守れるよう、
・人気のない所や夜間は極力一人で行動しない(させない)
・夜、女性や子供は家族の中心に挟むようにして寝る
等、心掛けてください。
過ぎた悲惨な過去から、私達は学ぶことができます。防ぐことができます。守ることができます。
他人事とスルーせず、この場合、自分はどうするべきだろう…そんな風に自らを省みる機会としても、当ブログを読んでくれた方にこれからも3/11を大切に過ごしてもらえたらな、と思います。