思いを伝えるのは思いついたその時に。
今回は、娘、おもちとは関係なく、私の昔話になります。
遡ること14年ほど前。
ド田舎の、引っ込み思案な性格の中学生だった私は、今すぐにでも逃げ出したい気持ちで、遠い異国、カナダの空港をトボトボ歩いていました。
少し前を行くのは当時通っていた塾の先生。
先生の伝手により、塾生の中で希望者だけが1か月間のホームステイに参加させてもらうことが出来たのですが、前述の通り引っ込み思案で人見知り、学校以外では母や身内がいないと何をするにも不安な私は、姉も参加したこの貴重な機会に、全く乗り気ではありませんでした。
それをほぼ強制的に参加を決定していた母に放り出される形で、中学生最後の夏休みの1か月間、私はカナダで過ごすことになりました。
私を迎えてくれたのは、カナダで暮らすドイツ人のおばあさん、ケイさん。
初対面はガチガチに緊張&全くもって一言も日本語が通じず、何を話すにも話し掛けられるにもどう伝えればいいかわからず、「あなたはシャイね」と笑いながら握手をしてくれたその手がとても柔らかく温かかった事だけを覚えています。
ご主人は同じ敷地の中で暮らしていらっしゃいましたが、家が分かれていてほぼ一人暮らしだったので、その日から実質私とケイさんの2人での暮らしがスタートしました。
平日の日中は語学学校に行き、周りはほとんどが中国もしくは台湾の子達に囲まれつつ(日本人は一人もいなかったので本当に心細かったけれど、思い返せば英語を必死で使わざるを得ず語学学習としては最高の環境だったと思う)みんな優しくて仲良くしてくれたので、孤立せず楽しく過ごすことができました。
そして学校が終わるとケイさんが車で迎えに来てくれ、車中ではいつもその日あったことを聞かれ、帰宅後は部屋で宿題をして、夕方は会話の練習のためにも庭で一緒にお話をするのが日課でした。
彼女は私の拙い英語を、穏やかな微笑みを浮かべたままじっくりと聞いてくれ、時々単語や言い回しのアドバイスをくれました。
最初はこの日課を、言葉を間違えていたりしたら恥ずかしいし、出来れば帰国する日までなるべく部屋にこもって過ごしたい、と憂鬱に感じていたのですが、慣れると伝えることのできる楽しさを実感しましたし、この日課のお陰で格段に英会話の力を付けることができました。
休日は色んな所に車を飛ばして連れて行ってくれて、お友達に会わせてもらったり、一緒に買い物に行ったり、観光をしたり。
私が銀行で両替のため出した日本円の1万円札を見たケイさんが「10 thousand !!?」と目を剥いていたこともありました(笑)1万ドルってヤバいもんね(笑)
そんな風に日々を過ごし、カナダに来た最初の頃は「あと何日で帰れる・・・」と始めた手製のカレンダー(1日経つごとに×を付けていきました)だったのに、帰国が近づくと「あと何日で帰らなきゃいけないのか、ケイさんとお別れしなきゃいけないのか・・・」と寂しさを感じるようになっていきました。
そしてついに帰国前日の夜。
すっかり祖母と孫娘のような関係になっていた私達は、2人で一緒に早くも泣きながら私のキャリーケースに荷物を詰めていました。
明日からはそうそう会えない距離で離ればなれになってしまう。一緒にご飯を食べたり、お出かけしたり、庭でお話をすることも出来なくなる。
そう思う度に涙がとめどなく溢れて、私は寂しい、帰りたくない、とわんわん泣いて、ケイさんもそんな私を抱き締めて、私だって同じ気持ちよ、と泣いていました。
少し落ち着いてきた頃、鼻をすする私に、静かに彼女が言った言葉が、今でも胸に残っています。
「もし、私達の人生が一冊の本だとしたら。
明日お別れになるけれど、またそこで新しいページが捲られて、次の物語が始まるのよ。」
そう言ってにっこり笑った顔を見て、あぁ、この人と出会うことが出来て本当に良かったな。大好きなカナダのおばあちゃんが出来たなぁ。と心から思いました。
翌日。
出発ゲートの、もうこの壁の先はチケットを持つ搭乗者しか進めない、という場所まで来て、やっぱり泣いて泣いてのお別れのハグをして、列を進みました。
最後に振り返ると、一人ぽつんと立つケイさんだけが目に映りました。
その瞬間、走って彼女の元に帰りたい気持ちに駆られましたが、ケイさんは笑って手を振ってくれました。
それを見て、何とか堪えて、私も大きく手を振って、先へ進みました。
あれから10年以上。
何度か手紙のやり取りをしていましたが、私が元々筆不精で、かつ書こうと思う度に途中で挫折をし、手紙を送りたい、ケイさんがどうしているのか知りたい、という気持ちはずっと持ちつつも、気付けば高校以来手紙を送ることが出来ずに月日が流れていました。
しかし昨年おもちが生まれたことで、もう英語がめちゃくちゃでもとりあえず送ろう!!写真も付けていちさんとおもちと幸せに暮らしていること、ケイさんのことを片時も忘れたことはないことを伝えよう!とほぼ勢いで手紙を書き上げ写真を添えてポストへ投函、そわそわと返事を待っていました。
数週間が経ち、ある日仕事から帰ると、自宅のポストには手紙らしき封筒が入っていました。
これはもしかして!と浮足立ちながらその封筒を取り上げてみると、それは私の送った手紙でした。
返送理由は不明、ケイさんの手元にも行かなかった事にがっかりしながら、ふと心配になって私は塾の先生にメッセージを送って、ケイさんの消息を確認しました。
私がいた頃ですらすでにご高齢だったこと、数年前に先生から病気であることを聞いていたことから、まさか違っていてほしい、と願いながら。
しかし残念ながら、すでに亡くなられていました。
それも昨年だったということで、もう少し早く行動していればと思うと悔しくて、もう永久に彼女にこの思いは伝える術が無いことが悲しくてたまらず、いちさんに話しながら声を上げて泣きました。
日々に追われて過ごしていると、大切な人は当たり前に今日も明日も生きていて、会えなくても元気にどこかで過ごしている、感謝や愛情はいずれ伝えればいい、と思いがちですが、自分が1日を終える頃その人にも同じ時間が流れていて、それが積み重なると何カ月、何年にもなっていきます。
先月、今月と父の日、母の日があるように、せっかく感謝を伝えるきっかけがある場合もあるので、「あ、これ言っとこうかな」とか「久々にあの人に連絡してみようかな」と思った時は、すぐ行動に移していこうと思います。
皆様も、是非。
ケイさんとの日々は、私が人生で唯一ずっと書き続けた日記が残っているので、また改めて何かの形でお披露目できたらと思います!
いつかまたどこかで会えますように。