ラーメンの魁力屋行ってきた!
今日はいちさんが休みだったのですが、最近バタバタで休みらしい休みを過ごせていないためおもちには保育園へ登園してもらい、私の仕事終わりに迎えに来てもらって一緒に近くに出来て気になっていたラーメン屋さん、魁力屋へ行ってきました!
いちさんは特製醤油ラーメン、私はコク旨肉入りラーメン。
写真は私のコク旨肉入りラーメン!チャーシューが私好みの丸くて脂身がそんなに多くないものだったので、ペロッと完食。
こういう外食では毎度毎度、普通の男女ならそれぞれ逆のメニューを頼みそうな所を裏切る我々。今日も例に漏れずこんなチョイスでした(笑)
チェーン店ではあるけれど、久々に背油ガッツリのラーメンを頂き大満足。
そしてここで猛烈にお勧めしたいのが、子連れへのウェルカム加減!!
実は今日お店に足を運ぶ前に、以前Twitterで魁力屋に行かれた方のツイートで「子連れに優しい!」というものを見つけたので、どれうちの近くのとこもそうなんかな…?と下見感覚でもありました。
お店に入ると、カウンター席もあるけれどそれより広く場所を取られた、四人ずつが向かい合って座れそうなくらいのテーブル席がズラリ。
そしてそのテーブル席にはそれぞれ1つずつ、当然のようにベビーチェアが据え置かれていました。
何となく、大人の男性客が多く、またお客を選びそうなイメージがあるラーメン屋さん。
今回のようにチェーン店はそんなことはないだろうけれど、こだわりの強いお店だったりすると入店を断られたり迷惑な顔をされるんじゃないか、椅子など子供用のグッズは無いんじゃないか…と子連れで初めて入るお店では不安になってしまうものです。
でも、こんな風にいつでも連れておいでーこれ使いなー!ってな感じにベビーチェアが置いてあったり、
壁にはこんな風に「お子さんにはこんなサービスあるよ!」とわざわざ可愛らしいステッカーなんかも貼ってあって、
「子供がいるからって躊躇しないで、一緒に食べに来な!」
と言われているようで、小さな子を持つ親としてはとてもありがたいし、本当に嬉しい姿勢だなぁと感動しました。
今日はおもちはいなかったけど、また行くときはおもちも一緒に食べに行かせてもらおうかなーとホクホクしながら、お店を後にした6月最後の金曜日でした。
一応お店にもよるとは思うので、心配な方はベビーチェアの有無等は電話で聞いておいた方が確実です。
ただ、やはり魁力屋さんは子連れに寛容なお店さんが多いようなので、ブログに書かれているのもよく見かけます。
検索してみるのもまた手なので、調べてみて、あーーー子供見てなきゃだけどラーメン食いてえ。っていう時、是非行ってみてください♪
ご馳走さまでした!!
思いを伝えるのは思いついたその時に。
今回は、娘、おもちとは関係なく、私の昔話になります。
遡ること14年ほど前。
ド田舎の、引っ込み思案な性格の中学生だった私は、今すぐにでも逃げ出したい気持ちで、遠い異国、カナダの空港をトボトボ歩いていました。
少し前を行くのは当時通っていた塾の先生。
先生の伝手により、塾生の中で希望者だけが1か月間のホームステイに参加させてもらうことが出来たのですが、前述の通り引っ込み思案で人見知り、学校以外では母や身内がいないと何をするにも不安な私は、姉も参加したこの貴重な機会に、全く乗り気ではありませんでした。
それをほぼ強制的に参加を決定していた母に放り出される形で、中学生最後の夏休みの1か月間、私はカナダで過ごすことになりました。
私を迎えてくれたのは、カナダで暮らすドイツ人のおばあさん、ケイさん。
初対面はガチガチに緊張&全くもって一言も日本語が通じず、何を話すにも話し掛けられるにもどう伝えればいいかわからず、「あなたはシャイね」と笑いながら握手をしてくれたその手がとても柔らかく温かかった事だけを覚えています。
ご主人は同じ敷地の中で暮らしていらっしゃいましたが、家が分かれていてほぼ一人暮らしだったので、その日から実質私とケイさんの2人での暮らしがスタートしました。
平日の日中は語学学校に行き、周りはほとんどが中国もしくは台湾の子達に囲まれつつ(日本人は一人もいなかったので本当に心細かったけれど、思い返せば英語を必死で使わざるを得ず語学学習としては最高の環境だったと思う)みんな優しくて仲良くしてくれたので、孤立せず楽しく過ごすことができました。
そして学校が終わるとケイさんが車で迎えに来てくれ、車中ではいつもその日あったことを聞かれ、帰宅後は部屋で宿題をして、夕方は会話の練習のためにも庭で一緒にお話をするのが日課でした。
彼女は私の拙い英語を、穏やかな微笑みを浮かべたままじっくりと聞いてくれ、時々単語や言い回しのアドバイスをくれました。
最初はこの日課を、言葉を間違えていたりしたら恥ずかしいし、出来れば帰国する日までなるべく部屋にこもって過ごしたい、と憂鬱に感じていたのですが、慣れると伝えることのできる楽しさを実感しましたし、この日課のお陰で格段に英会話の力を付けることができました。
休日は色んな所に車を飛ばして連れて行ってくれて、お友達に会わせてもらったり、一緒に買い物に行ったり、観光をしたり。
私が銀行で両替のため出した日本円の1万円札を見たケイさんが「10 thousand !!?」と目を剥いていたこともありました(笑)1万ドルってヤバいもんね(笑)
そんな風に日々を過ごし、カナダに来た最初の頃は「あと何日で帰れる・・・」と始めた手製のカレンダー(1日経つごとに×を付けていきました)だったのに、帰国が近づくと「あと何日で帰らなきゃいけないのか、ケイさんとお別れしなきゃいけないのか・・・」と寂しさを感じるようになっていきました。
そしてついに帰国前日の夜。
すっかり祖母と孫娘のような関係になっていた私達は、2人で一緒に早くも泣きながら私のキャリーケースに荷物を詰めていました。
明日からはそうそう会えない距離で離ればなれになってしまう。一緒にご飯を食べたり、お出かけしたり、庭でお話をすることも出来なくなる。
そう思う度に涙がとめどなく溢れて、私は寂しい、帰りたくない、とわんわん泣いて、ケイさんもそんな私を抱き締めて、私だって同じ気持ちよ、と泣いていました。
少し落ち着いてきた頃、鼻をすする私に、静かに彼女が言った言葉が、今でも胸に残っています。
「もし、私達の人生が一冊の本だとしたら。
明日お別れになるけれど、またそこで新しいページが捲られて、次の物語が始まるのよ。」
そう言ってにっこり笑った顔を見て、あぁ、この人と出会うことが出来て本当に良かったな。大好きなカナダのおばあちゃんが出来たなぁ。と心から思いました。
翌日。
出発ゲートの、もうこの壁の先はチケットを持つ搭乗者しか進めない、という場所まで来て、やっぱり泣いて泣いてのお別れのハグをして、列を進みました。
最後に振り返ると、一人ぽつんと立つケイさんだけが目に映りました。
その瞬間、走って彼女の元に帰りたい気持ちに駆られましたが、ケイさんは笑って手を振ってくれました。
それを見て、何とか堪えて、私も大きく手を振って、先へ進みました。
あれから10年以上。
何度か手紙のやり取りをしていましたが、私が元々筆不精で、かつ書こうと思う度に途中で挫折をし、手紙を送りたい、ケイさんがどうしているのか知りたい、という気持ちはずっと持ちつつも、気付けば高校以来手紙を送ることが出来ずに月日が流れていました。
しかし昨年おもちが生まれたことで、もう英語がめちゃくちゃでもとりあえず送ろう!!写真も付けていちさんとおもちと幸せに暮らしていること、ケイさんのことを片時も忘れたことはないことを伝えよう!とほぼ勢いで手紙を書き上げ写真を添えてポストへ投函、そわそわと返事を待っていました。
数週間が経ち、ある日仕事から帰ると、自宅のポストには手紙らしき封筒が入っていました。
これはもしかして!と浮足立ちながらその封筒を取り上げてみると、それは私の送った手紙でした。
返送理由は不明、ケイさんの手元にも行かなかった事にがっかりしながら、ふと心配になって私は塾の先生にメッセージを送って、ケイさんの消息を確認しました。
私がいた頃ですらすでにご高齢だったこと、数年前に先生から病気であることを聞いていたことから、まさか違っていてほしい、と願いながら。
しかし残念ながら、すでに亡くなられていました。
それも昨年だったということで、もう少し早く行動していればと思うと悔しくて、もう永久に彼女にこの思いは伝える術が無いことが悲しくてたまらず、いちさんに話しながら声を上げて泣きました。
日々に追われて過ごしていると、大切な人は当たり前に今日も明日も生きていて、会えなくても元気にどこかで過ごしている、感謝や愛情はいずれ伝えればいい、と思いがちですが、自分が1日を終える頃その人にも同じ時間が流れていて、それが積み重なると何カ月、何年にもなっていきます。
先月、今月と父の日、母の日があるように、せっかく感謝を伝えるきっかけがある場合もあるので、「あ、これ言っとこうかな」とか「久々にあの人に連絡してみようかな」と思った時は、すぐ行動に移していこうと思います。
皆様も、是非。
ケイさんとの日々は、私が人生で唯一ずっと書き続けた日記が残っているので、また改めて何かの形でお披露目できたらと思います!
いつかまたどこかで会えますように。
おもちが生まれた日
仕事復帰してからと言うもの、怒濤の勢いで日々が過ぎていきます。書きたいことはどんどん積み重なっていくというのに気付けばまた一日が終わっていく…
そんな中、おもちは無事に一歳のお誕生日を迎えました!
誕生日当日はまさかの、
☆主役のおもち→終日MAX不機嫌
☆私→謎の高熱で余裕無し
☆いちさん→花粉症でぐずぐず
とまあ揃いも揃って最悪のコンディションでボロボロでした(笑)
それでもなんとか写真館で記念撮影をしてもらい
(初めての子だからと撮り過ぎまい…と誓っていたにも関わらず、結局生後1ヶ月、百日祝い、初節句、そして誕生日…とフルコースだった。写真館はアドレナリン出るとこ、気を付けなはれ!!でもケーキ風のドレス着たおもちがスーパー可愛かったから後悔はしていない!!)、
餅は消費に困るということで、一升餅の代わりに同じ重さの米を使った一升米というのがあったのでそれを注文して、背負わせました!
(注文したのはこちら→https://item.rakuten.co.jp/komejin/m001-anniversary-1/)
まだまだ掴まり立ちまでしかできないおもちなので、歩いたりは無理だろうなぁーと思いつつ付属のナップサックを背負って立たせてみたら、機嫌悪かったのもあり唸りながらぐずり、そのまま尻餅をついて、勢いで後ろへドシーン!!からの号泣…(笑)
ちょっと可哀相だったけれど、転ぶのも縁起が良いっていうし、泣いちゃったのも良い思い出!これからも元気にすくすく育ってね!
そして将来何になるかを占う選びとりをやってみたのですが、なんとこの一升米のセットには、選びとりのカードがあって、わざわざ品物を用意しなくて済んだので気軽にトライできました♪
いざ、カードを並べて、おもちを放流。
ドドドドッと真っ直ぐにハイハイして、迷わず選び取ったのはなんと
医者!!
二人で顔を見合わせ、「い、医者かぁ…」と、学費やら様々な壁を憂いて虚空を見上げる両親でした…(笑)
その後他のカードもあれこれ持っては投げ持っては投げしていたおもちでしたが、「幸せな結婚」を取った瞬間にいちさんの顔色が変わった事、将来おもちの結婚式の時に話してやろうと思いました。
そして初めてのケーキを、手掴み食べの練習がてら本人の好きに食べさせてみよう!と周りを養生してから(ペットシーツ敷いたっていう笑)召し上がれ!と本人の前へ。
まずはひと口、スプーンであげてみたら、美味しかったらしく目の色変えて次を要求してきました。
じゃあ自分でどうぞー!と目の前に差し出してあげたら、興味深げに一掴み。
ぐじゃあ、ぐじゃあ…ぬりぬり…ポイッ…
と擬音だけでご想像頂けるかと思いますが、予想通り、アート作品を作り上げたりお顔にクリームくっつけたり、もう見るも無惨な事になりました。。
でもその姿を見て、ああ、この子がお腹にいたあの子なんだよなぁ…と思うと不思議な気分で、この人生で一番長く感じた一年をしみじみと噛み締めることができました。
少し時間を巻き戻して、おもちが生まれる前日のメモが携帯に残っていたので、ついでに残しておこうと思います。
【5/22
早朝5時半、親の生活音とジジのゴロスリ攻撃(この時実家にジジとお松を連れてきていました)で目が覚めた時、腰と下腹部の鈍痛を認識。昨日から、なんか怪しいなぁ、産まれそうな気がするなぁ、と思ってたから、まさか…と思いながら重たい体を無理矢理引きずりトイレへ。
用を足す時に、生理来ちゃったよ!的な感覚でドベッと出血、そして鮮血。そしてナプキンにも茶色いおりものが多めに出てた。あぁおしるし…えええぇぇぇ多くね!?とビビり、便器の底に溜まった血に塊もある気がして、慌てて新しいナプキンを付けてトイレ脱出。
冷静に、冷静に、と自分に言い聞かせながら座敷に戻り、母子手帳を引っ張り出しながら同時に携帯でおしるしについて検索。産院に連絡すべき事項だけ確認して即、電話。状況説明後、来てくれってことになったため急いで母に報告。
秒で支度を済ませ、ジジのご飯と水を確認、良い子にしてろーと撫で回して玄関へ。父は有事の時いつもサイレントあたふた(無言で立ち尽くしこちらを凝視、目が合うと「大丈夫か」「気を付けてな」と固い声で励ましてくれる)するけど、久々のそれを見た。彼の心の中の激震を思うと、自分が大変な状況でも笑っちゃって安心できる(笑)大丈夫よお父ちゃん。ありがとう。
お松にも、ちょっと行ってくるねーと撫で回して、乗車。道中、最初は状況に追い付けず波打っていた気持ちも、まーただのおしるしで普通に今日は帰されるかもなーと落ち着いていき、でも万が一を考え買ってもらった朝ごはんをモリモリ完食、母と談笑しながら産院到着。
すぐにいつもNST(胎児の心拍など状態を確認する検査。ノンストレステストの略らしい。)をやる陣痛室…を通り抜け、突然通された分娩室に恐れ戦く。看護師さんに言われるまま下半身脱ぎ捨て分娩台へ。内診台と違ってカーテンがない。股の間から普通に話す看護師さんとのやり取り。すごく居たたまれない(笑)
結局子宮口は大きく見積もっても2センチ、破水もなく、子宮口が柔らかくはなっているけどまだ陣痛もないし単純におしるしだろうと言うことで一安心。念のため先生に診察もしてもらってから帰ろうかーと言われ、だよねーやっぱりーとがっかりなようなホッとしたような複雑な気持ちで診察へ。
もう一回やってもらった内診で、まさかの出ました破水反応。「うすーく出てるのわかる?これ」って言われ、「あーほんとですね」と何の反応なのかわからずほけっと答える私。その横っ面を叩くような衝撃の言葉。
「ちょっと破水してるから、入院ね」
「あ、え、は…はい…」
思わず先生二度見。うなずく先生。ちょっと待った。
「入院て今日から、ですか…?」
「うん、このまま。」
「あ、あー…」
ということで、物心ついてから初めての入院へ。ロビーで合流した母に笑いながら報告。まさかの展開に笑いまくる親子。
で、あれよあれよと事が進んで、陣痛待ちの現在午後五時。検査のため血液抜かれ、感染予防の抗生剤を飲み、昼ごはんとおやつを残さず平らげ、陣痛室で本日二人目のお産の絶叫をBGMにNST。旦那は今晩から福井に滞在になったし、今晩陣痛が無ければ明日の朝から促進剤を使うことになった。
来るのかなー陣痛。来たら私もあんなに叫んじゃうのかなー。いちさんいないと耐えられそうにないから、今日来てくれるって聞いて物凄く安心した。それならきっと頑張れる。
とりあえずいつ来るか分からないその時のために、ちょっとでも寝ておくことにする。
怖いけど、早く○ちゃん(おもちのこと)に会えると思うとわくわく。お互い人生の超難関、頑張ろうね。
って寝ようとしてたら、やっぱり破水の反応無くなってたら一回帰ろうかーって言われて再びの診察。噂の内診グリグリ?された。痛いっていうか、まぁ痛いのは痛いし、もうなんとも言えない圧迫感で目ん玉飛び出るかと思った(笑)
そしたら子宮口4センチ、○ちゃんも降りてきているとか。これはほんとにいよいよかな…
さ、NSTやんなきゃだしさっさと飯食おう。】
と、ここでメモは終わっていましたが、この約三時間後、ぐいぐい陣痛が襲来。そのまま出産となりました。
日付が変わって深夜の一時半、想像していた産声よりかなり甲高い泣き声を上げて、おもちが腕の中にやってきました。
本当に正直に言うと、生まれたてで顔の浮腫んだおもちは知り合いの中年男性にそっくりで、わ!か、顔は可愛くはない…!女の子なのにごめん!!と内心思ってしまいました(笑)
けれどようやく会えたこと、無事に元気に生まれてきてくれたことが嬉しくて、「はじめましてー…!」と声が震えて涙が出ました。
夜が明けたその日はとても天気が良く、青空のとっても綺麗な日で、私自身も生まれ変わったような、清清しい気持ちで病室の窓を眺めていたのを良く覚えています。
あれからの一年、初めての育児は私にとっては思っていた赤ちゃんとの日々とはかけ離れていて、おもちはよく泣きあまり寝ない子だったのもありかなり苦しい時期が何度もありました。
泣き言なんて何回言ったかわからないし、ノイローゼ一歩手前くらいになっていた頃もありました。
いつまで続くんだろう。時計やカレンダーをぼんやりと見つめて絶望していた日もありました。
けれど、日に日に、母乳やミルクを飲んで、おもちはどんどん力強く育っていきました。
今思い返せばすごいスピードで、お腹から出てきたばっかりでフヤフヤだったおもちは、みるみる大きくなっていきました。
今、一歳を過ぎたおもちは、大人と同じ白米を食べて、元気にハイハイして振り返って私を追いかけっこに誘うようになったし、可愛いー!って言われると嬉しそうにニコニコしたり、ダメ!って言われると一丁前に不満を露にするようになった。
あんなに辛かった寝かしつけは、今は手を握らせて添い寝すれば自分で寝るようになって、後追いや自己主張は強くなったけど、気が付けば泣くことは格段に減っていた。
辛さの渦中にいた時は、もう一生苦しいままなのかもしれない。いつか終わるって言うけどそんな日が来るのか。もう今までのような暮らしは出来ないのか。
そんな気持ちが頭の中を占めてしまっていたけれど、気が付いたら、新しい生活を受け入れて、穏やかな幸せを感じられるようになった。
私にとって子供が生まれた事は、今までの人生を突然に激しく一変させた出来事で、その変化についていけずにもがいた日々だったけれど、いちさん始め実家や義実家に助けられながらもがき続けて、最近ようやく自分のやり方、新しい生活を確立できた感じがする。
やっと、私も一年かけて、おもちのお母さんになれてきたのかな、となんとなく思う。
これからも成長に合わせてまた悩む事もあるだろうけれど、愛おしい可愛い愛娘に振り回されながら、いちさんと一緒に親になっていけたらなぁ、と思います。
グダグダになったけど、最後に。
おもちへ。
生まれてきてくれて、本当に本当にありがとう。
父ちゃんも母ちゃんも、おもちに会えて幸せだ!!
母の日のプレゼントをもらいました。
そういや先週の話になりますが、我が家も保育園で作ってもらった母の日プレゼントが来ました!
おもちの手や意思は全く加わっていないだろうけど嬉しかった!こうして大事なものが増えていくんだなぁ。写真入りなのがさらに嬉しい(*^^*)
旦那似で爬虫類顔だから、恐竜の赤ちゃんみたいな笑顔してるのがまた愛おしい(笑)
昔、親が私や兄弟からのこういうプレゼントとか、テストとか絵とかまで取っておいてたのを、さっさと捨てれば良いのにーなんて思ってたけど、解ってない!!あんた解ってないよ!!
子の想像以上に嬉しかったりするんだなーと思った初・母の日でした。
腕の中の寝顔
五月になり、中旬生まれのおもちはもうすぐ一歳になります。
GWの今、保育園はお休み。
私も仕事のお休みを頂いて、連日おもちと一緒に過ごしています。
午前中は十時頃に眠くなるおもちが先程ぐずり始めたので、ヒップシートに乗せて、お尻をトントン叩きながら抱っこでゆらゆら。
じきにウトウトし始め、体の力が抜けていって、間も無く寝息を立て始めました。
最近、しばらくそのまま、寝顔を眺めます。
下唇をちばちば吸いながら眠る癖で、小鳥のように尖った上唇を微かに動かす。
鼻が詰まりやすく、くぉー、くぉーとちょっとだらしないいびきをかく。
あだ名の由来のもちもち頬っぺたはすべすべで、桃のような淡いピンクがかっていて。
女の子なのにと心配していた薄い髪の毛は、薄いのは相変わらずだけどどんどん伸びて、額を覆うようになってきて。
まつ毛も一丁前に生え揃って、別の生き物のようにめちゃくちゃに動いていた手は、眠っても「離さんぞ」とばかりにしっかり私の服を握っていて。
一つ一つの姿に、これまでのおもちの姿を重ねてしまって、なんとも言えない、嬉しいような、寂しいような…
色々な気持ちが混ざって、胸がじんわり、目頭が熱くなってきます。
大きくなったなぁ。
重たくなったなぁ。
可愛いなぁ。
しみじみ感じながら、布団に下ろした後も、万歳の手ですやすや眠るおもちをしばらく眺めてしまいます。
寝ぐずりがひどく、泣き方も激しいおもちに手を焼き、早く寝ろ、早く一人で寝られるようになれ、眠いのになんで寝てくれないの…
と悩み、イライラしてしまったり、寝てもすぐ起きてしまうため常に張り詰めた気分でいた数ヵ月間。
思い返すということは、気づいたらその時期が過ぎていたらしくて。
そうなると、あと何回、こうして腕の中で眠ってくれるんだろうなぁ。私自身何回、こんな風におもちが眠るまで抱っこしてあげられるんだろうなぁ。
そう思うと、愛おしくてたまらなくなります。
保育園はかなり馴れたようで、連絡帳に書かれている昼寝の時間も一定してきて、時間も長くなってきたようです。
他にも、泣き出しても他の興味を見付けて自分で泣き止んだり、経験から学んで行動が慎重になったり。
ちゃんと自分で成長する力があるんだなぁとびっくりさせられるこの頃。
これからも成長著しいんだろうなぁ。
仕事に復帰して、その姿を間近で見られる時間は減ってしまったけれど、一緒にその成長を喜んで、目に、記憶に、焼き付けて過ごしていきたいなぁ。
そんな風に思った休日の朝でした。
さて、鬼の居ぬ間に洗濯と言うし!ご飯の下ごしらえしますかー!
☆夫、いちさんのブログはこちら↓☆
https://ichisan0621.hatenablog.com
今朝の登園
本日、浜松市内は朝から雨ザーザー。
雨やー濡れるー逃げろー!!とおもちを抱えて駐車場の車にダッシュ、チャイルドシートイヤイヤ期でビチビチ跳ねて仰け反るおもち魚をなんとか乗せて、出発!
ぎゃー!とか、あーでゃでゃでゃでゃ!!!とか、ちゃちゃぢゃぢゃー!!!と絶叫するおもちに「あーい、いるよいるよー母ちゃん前にいるー!」とアピールしつつ、保育園に到着。
雨が降る中、これ持ってこれ持って、これは仕事のやから車に置いてって、あーこれ持っておもち抱っこして傘さすのは難しいなー、出入口までダッシュでいいかー…とか色々考えながら荷物をまとめて、いざ!車からダダッとダッシュ!!
入り口が近付いて、気付いた。
あ。
おもち本体、忘れた。
何をしに保育園来たのか…
自分のアホさに失笑、慌てて車へ戻りました。
おもちは私がふざけていると思ったらしく、ドアを開けた私を見て「エヘヘヘヘッ!!」と楽しそうに笑っていました(笑)ごめんね、マジで忘れてた(笑)
昔、四人の子育てに追われていた実母(ちなみにしろたろう、四人兄弟です)が、買い物の時に姉を忘れて帰ったことがあるという話を聞いて
「えーひどい!!」
と笑った事がありましたが、たった一人の我が子を忘れた私に彼女を責める資格はもう毛ほどもありませんね。
母ちゃん気を付けます(笑)
夫、いちさんのブログはこちら↓
https://ichisan0621.hatenablog.com
原動力となる言葉
先日、いちさんがお休みだった日。おもちの保育園を休ませるか当日まで悩んだのですが、まだその頃は慣らし保育の途中だったので登園。
夕方のお迎えまで、久しぶりに夫婦水入らずでお茶したりご飯を食べたり、ぶらぶら買い物したり出来ました。
その中で、お互いに始めたブログについて話していた時、とても嬉しい言葉を沢山もらいました。
(ちなみにいちさんのブログはこちら↓
https://ichisan0621.hatenablog.com)
近頃、積立てや生活面での経費削減の知識収集に目覚めたいちさんは、とても生き生きとしながらあれこれと勉強しています。そして最近始めたブログも、その知識を活かして記事を書いていく予定だそうです。
以前は趣味という趣味が無いとぼやいていた彼ですが、ようやく自分の興味のあることを見つけた姿は輝いていて、頼もしく、また安心もしました。
しかし同時に、焦燥感も感じました。
あーやばい、私は何も無い、と。
趣味はあれこれとあるのですが、どれも遊びの範疇を出ないものばかりで、別段人に誇って話せるようなものではありません。
そのため、今回のいちさんの「今後に役立つ知識、生きる力」のような興味と学ぶ姿勢はすごく眩しくて、しかもブログも私より建設的でまとめ方がうまい。わかりやすいなぁ、すごいなぁ、と、恥ずかしながら羨ましさと少しの嫉妬を持ってしまいました。
それを正直に伝えたところ、
「いや、しろの文章は俺に書けない面白さがあるし、読ませる力があるよ!」
と、こちらのどんよりした思いをスパッと切り裂くように、明るく返してくれました。
「まず女性と男性は着眼点が違うじゃん。
男性は大抵、それをやって結果どうなったか、数値的にどう変わったかが重要。
俺は物のスペックとか類似品の比較した時の違いを書いたり、実際自分が気になったものを体験してみた前後を書こうと思ってる。
でもそれって女性からしたら面白くなかったりするでしょ。
気持ち的なところとか、共感したりできる方が大事。
その面、しろは文章書き慣れてるし、人に読ませるのがうまいと思う。俺は活字苦手だけど、しろのは面白いからスルスル読める。
俺はそれがすごいと思うし、そこは勝てないなぁと思ってるよ。」
なんでもないことのようにサラッと言ってくれましたが、私はとても嬉しかったです。
元々は自分の書いたものに全く自信が持てず(書いたものだけでなく、思えば小さい時主に兄に自分のやることなすこと馬鹿にされた記憶があり、それが今でも何をするにもついて回っているところもあるかも・・・)、恥ずかしいものと感じて、人に見せたりすることは日記以外ほとんどありませんでした。
けれど、その少ない機会でも、「勿体無いから本気でやってみなよ!」と言ってくれる友達や、褒めてくれる先生、日記を楽しみと言ってくれる方々のお陰で、少しずつ「あ、頑張ってみてもいいのかな。」と自信とモチベーションをもらってきました。
そして今、一番近い場所で私の好きなこと、頑張っていることを認めて褒めてくれるいちさん。
本当に、ありがたく、何に挑戦するにも強い心の支えになってくれています。
日本人は何かと「言わなくてもわかるだろう」という考えの人が多く、感謝も愛情も口に出すことが少ないように思います。わざわざ言わなくたってどうせわかるよ!ってな風に。
私も元はそのタイプの人間で、良いと思ったことでも、思ったことを人にそのまま伝えるのが苦手でした。以前のブログでも書いたように、人に好意を伝えることが本当に苦手で、そのくせ自分は人から褒めてもらいたがり。
されて嫌なことはするなと学校でよく教えられた覚えがありますが、自分がされて嬉しいことを人に積極的にやるようには教わらなかった気がする。
逆パターンだって当然然りなのに。
いちさんは常に、愛情表現も、喧嘩をする時も、私の良い所を見つけた時も、ほぼ包み隠さずストレートに伝えてきてくれました。
出会ってから9年、結婚して間もなく5年。
いろいろありましたが、絆はどんどん強くなっているし、結婚したのがこの人で本当に良かった、と心から思います。
実は今まさに人生の転換期を迎えている我々ですが、これからもお互いへの思いやりと尊敬の念を忘れず、何十年後も一緒に笑っていられたらすごく嬉しいなぁ、と改めて思った一日でした。
さて、明日はいちさんお休みの日!おもちと三人、楽しく過ごしたいと思います!
皆様も良いGWをお過ごしください。